バイオグラフィ

1985.8.16 この世に生まれる。確か・・その日の曜日は金曜日だったはずです。
2つ上に姉がいて、私は長男として命を授かった。名前は確か・・父と母がつけてくれたと聞いたことがある。
1〜5歳 この時期の記憶はあまりない。というか、ほとんどない。
両親は働いていたので、小さいときから祖父母の世話になっていた。祖母から聞いた話だと、まだ1歳の冬ときにミルクを吐いて救急車で病院に運ばれていったらしい。

年少から保育園に行くようになった。体は病弱で小児喘息で何度か入院した。相当ひどかったんだろう。
保育園もあまり行きたくなかった。だから祖父が迎えに来るのをいつも待っていた気がした。

保育園の保育士さんも、もうあまり覚えていない。
でも、高校三年の秋ころに保育園の前を通ったら、名前を呼ばれて驚いた。
自分ではその保育士さんがよく覚えていないのに、ほんとビックリした。
いい保育園にお世話になりました。
小学1年 6歳 小学校入学。
1年生のときの先生は不思議な先生だった。
先生が作ったのかわからないけど、今考えると意味不明な歌を毎日帰りに歌わせられていた気がする。
小学校1年生のときもあまり学校が好きでなかったと思う。
何でかわからないけど・・
小学4年 10歳  担任の先生は新任の先生だった。
4年生になると家庭学習も始まって、スポーツ少年団にも入った。
小学校では1番忙しかった時期だと思う。

サッカーをやり始めた。ちょうど2つ上の人たちが県で優勝して、全国大会に出場した。そんな強いチームの中で試合もたくさんあった。
まだ4年だったので上の人の試合の応援、手伝いで毎週土曜日、日曜日はサッカー漬けだった。
6年生が引退して4年生の中でも試合が出てきた。
いつも練習でキーパーを何となくやっていたのが、監督からボール拾いか、キーパーどっちがいいと聞かれてキーパーを選んだ。
みんなからすれば、地味なのでキーパーはあんまり人気がないポジション。
いつの間にかレギュラーになって試合には毎試合出ていた。自分のいた学年も強かったので地区ではいつも上位だった。ということはキーパーはあまり仕事がないということ。
ほんとに暇なときは真ん中まで出て行って、監督に注意されることもあった。
そんなチームで県の優秀選手にも選ばれた。自分がもらっていいのかと思うくらいだった。

勉強のほうは見事にサボってしまって、今まで取ったことのないような成績を取ってしまって、4年でサッカーをやめることを決めた。
そんな中、一番強かった奴も監督と対立したのかわからないけど、やめた。
それに続いて、10人はやめたと思う。それから、チーム戦力は落ちたと思う。
小学5年 11歳 サッカーをやめて、小学1年から通っていたスイミングクラブにまた通い始めた。

5年になって同じクラスの人と一緒に歩いて行っていた。
そいつは頭もよくて、水泳も早い。試合に出る競技も平泳ぎで同じ。
3年のときからの小学校内水泳大会では、自分が3年のときにその人から勝って新記録を出してからは、いつも2位でその人が新記録を塗り替えていった。

今でも自分の記録が残ってるのかな〜?
確か平成4年に出したからもう10年以上経つ。
塗り替えられてないと弟に聞いたから、まだ残っているんだろう。

その人とはまあ〜ライバルということで、いろいろやってきた。

中学でもその人は頭がよくて、高校も進学校に進んで、大学も工業系では日本一というところに行ったと思う。
確かライバルのはずが、今は少し上に行ってしまった。
小学6年 12歳 バドミントンを始めて、馬鹿なことを仲のよかった友達としてよく先生に怒られていた。

小学校卒業。住んでいる地区によって通う中学校が別れてしまった。